今回は、お盆等にお世話になってるお寺、
日本の仏教の歴史について感じた事を書きます。
(真理のことば ブッダより)

日本には仏教がメインの宗教だと思うのですが、
キリスト教やイスラム教に比べると多種多様で、
仏教とひとくくりに納めるのが難しいほどだと
本には書いてあります。

仏教の歴史を見ていくと、
元をたどれば、ブッダにたどり着くのですが、
ただ、いろんな国へ伝わるにつれて、
地域ごとに、仏教そのものが、かなり変化しています。

また、仏教にはお経がありますが、
このお経は、ブッダが伝えたそのものの話は少なく
ほとんどのお経は、別の人が作ったモノだそうです。
(日本にあるものは、ほとんどそうらしいです)

これは自分も知りませんでした。

ただし、
別の人が作ったとしても
価値が無い訳ではないので、
今まで通り、お経は自分も唱えると思います。

また、日本の仏教は大乗仏教だそうです。

(これとは別にチベット仏教や、
 上座部仏教(小乗仏教)などがあります)

ただ、この大乗仏教で注意しておきたい事として
ブッダの教えが色濃く残ってる仏教は
上座部仏教(小乗仏教)の方だという事です。

つまり、「自分の道は自分で開け」は、
大乗仏教より上座部仏教に受け継がれているというわけです。

逆に大乗仏教の方は、
「超越的な救済者や不可思議な力を借りて、
 自分自身が釈迦と同じブッダの位まで行こう」
という事らしいです。(これも知りませんでした)

ただこれは、キリスト教に似てますね。

神に頼る。または人の理解出来ない力に頼って、
つまり他人や他力に頼って悟りを得る。
と解釈できます。

日本の仏教が、全部が全部これだ。というワケではないのですが
大乗仏教の基本はこの考え方だ。という事だそうです。

私自身は、特別に何かに頼らなくても、誰もが、いや全ての人が、
勉強と実践、努力の継続で、ある程度は悟りを得る。いや
そこまでいかなくても人間性を上げる事が出来ると思っています。

簡単に言うと、別に神に頼る必然性が無いという話です。

そして、何かわからない力を借りる必要も無いし、
何かに依存したり、継続的に頼ったりする事自体が、
人間性を下げる行為と言えると個人的には思うのです。

学校や社会では、個人でもがんばれば出来る事でも
人に頼り続ける事や他人への依存は、
別に悪い事でも無いと思われています。

私も特に悪い事だとは思っていませんが、
人間の精神面での成長は、そこで止まるでしょうし、
自堕落になりやすく、しかも、
自分で努力をするのがバカらしくなって、
依存から抜けられなくなる可能性があるのは、よく知ってます。

また、私の中では、
大乗仏教での悟りはほぼ不可能だろう。と思っています。
(これは日本の仏教全てについて言ってるわけではありません)

日本の仏教を信仰されてる人が
ここを読まれたら腹が立つかもしれませんが

例えば、ブッダは悟りを得ましたかが、
その教えを受けた人など、つまり
大乗仏教での日本のお坊さんほぼ全員が悟りを得て、
ブッダの様になってないといけないと思うのですが、
ブッダの様に悟りを得たお坊さんと言うのを
私は聞いた事がありません。

大乗仏教が日本にわたってきて、
まだ年数が経ってないならいざしらず、何百年も経って、
ブッダの様な人が誰ひとりとしていないという事は
どういう事か? とちょっと聞いてみたいところです。

しかし、悟る悟らないは別にしても、日本の仏教やお経の中には
とても人生の参考になる事がたくさんあります。

その部分は、とても勉強になっています。
ただ、まだカジった程度の知識なので
どれがどう素晴らしいかは解説が出来ないのですが
普段は、お盆などでお坊さんに唱えてもらうだけでなく
自分でも意味を噛み締めながら唱えるのもいいと思いました。

ブッダの教えの中には、人生に役に立つ話がたくさんあります。
私の様に、仏教に興味が無い人でも、
一度、勉強してみると、何かの役にたつかもしれません。

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