どんな事があっても、その人の受け取り方次第で、運が良くもなれば悪くもなるようです。

これは自分が交通事故にあった時のことを書いた記事の
一番最後に、ちょこっとだけ書いた話の続きになります。

   ・・・   ・・・   ・・・

交通事故にあってしまった場合は、
ホトンドの人が運が悪かった。
と考えるのが普通だと思うのです。

私の場合は、出勤の道中に、
車が動かせなくなるぐらいの事故にあったので、
車はもちろん、会社の人に迷惑をかけた事も当時気になりました。

更に、3回目の事故を振り返ってみれば、
その日の数日後には、その車で四国へ行く予定があったのです。

その3回目の事故なんて、後ろのパーツが取れかかっていて、
タイヤにまで干渉していたので、自走行は無理な状態でした。

その車で広島から高速に乗って四国に行くのです。

それも3日後。

誰だってあせると思います。

でも、前書いたとおり、結局運がよかった。で終わりました。

ただここで、もし、運が悪かった。と考え、

車に突っ込んできたその女性を

トコトン罵倒してしまったとしましょう。

まあ、一時的にはすっきりするとは思うのですが

やっぱり後味が悪くなるはずです。

そして今度は、二度あることは三度ある。なんて事を思い出して、

例え、その車が完全に直ったとしても、

四国への移動での高速道路を走行中や

見知らぬ土地で渋滞などしてたら、

どうしても、後ろばかり気にしてしまうと思うのです。

そして、いつもビクビクしながら、旅行を楽しむ気分にもなれず

疲れきって、自宅に帰ってきたと思います。

ただ、これだけでは、終わらないと私は思っています。

というのも、もしまた次に、交通事故にあい、しかも女性で、

また、信号待ちにオカマ掘られたとしたら。。。

今度は、前回の倍以上、その女性を罵倒するでしょう。

被害者という自覚がある人は、

加害者の人格を踏みにじる様なことを言っても許される。と考えてる人が多く。

私自身も、実際、そういう態度をとるかもしれないのです。

しかしどう考えても、こういう態度は『 運が良い人 』の行動ではありません。

そうです、交通事故にあう。というのは、きっかけです。

この時に、お互いに怪我もなくてよかった。とか、

壊れたのは車だけで、何も問題ない。それだけで済んだので有難い。

運がよかった。

と考え、その様に受け取る人と、

今日はなんてついてないんだ!と考え、

加害者の人に、自分の日頃ためてた鬱憤まで全部ぶちまけて

とことん追い詰めるような酷いことを言う人とでは、

やはり、今後の生き方が違ってくると私は思うのです。

これを見てもわかるとおり、ほんと、受け取り方ひとつ。の話です。

私は今後、何かあっても、これで済んでよかった。

運がよかった。で受け取っていこうと思っていますが、

みなさんは、どっちの受け取り方で行きたいと思いますか?

(ここでもし、悩んでる人がいたら「人生の分岐点」の話を思い出してください。
人生の分岐点というのは、何も、結婚時や、就職時だけではないのです。)

(※これは、「斎藤一人 大切な教え」を読んだ人しか
  詳しくはわからない話でした。でもとても重要な話なので、
  図書館にあれば借りてきてでもこの本を読んでみてください)

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