類は友を呼ぶのもうひとつの意味。「福の神がついてる人、貧乏神がついてる人」を読んでの感想その2

「斎藤一人 
 福の神がついてる人 
 貧乏神がついてる人」

この本の感想は、
今年初めのに一度書いたのですが
実は今、2回目を読んでいます。

というのも、
私自身、精神世界の話の中で
曖昧に理解していた部分があったので
もう一度読み返して
自分のものにしようと
思ったからです。

今はまだ全体で言うと
3分の1ぐらいの所までしか読めてないのですが
いろいろ面白いことを再発見しました。

さて、このサイトには、
何度か斎藤一人さんのお話を書かせてもらっているのですが
その中でよくお話を書かせてもらっているのが

「笑顔」と「上機嫌」

です。

私自身も今年の目標は、

「いつも笑顔でいること」

と決めました。

そして出来る限り上機嫌でもずっといたいと思っています。

さてここで、何故、笑顔と上機嫌の話をしたのかというと、
この本の中では、福の神と貧乏神の話が出てくるのですが
福の神は「笑顔」が大好きという話が書かれています。

もちろん「上機嫌」で居ることも重要なのですが
逆に「笑顔」以外の顔、例えば、怒った顔やしかめっ面、
暗い顔などは、貧乏神が大好きなようなのです。

そしてこの貧乏神が大好きな、不機嫌でいる。という状態は、
実際、貧乏神に自分から手を差し伸べていることと
同じ状態だと私は感じました。

さてここで「類は友を呼ぶ」という話が出てきます。

私は船井幸雄さんの本が大好きでいろいろ読んできたのですが
その本の中で、この地球上では「波動の法則」というものがあり、
その法則のなかに「類は友を呼ぶ」と同じ法則がある。
という話が書いてあったのを覚えています。

船井さんの話では、似た者同士が集まる。とか
違う人間性の人は離れる。という書き方を
本の中ではされてたと思います。

ただ、船井さんは書かれていなかったのですが、
実際にこの世で起きてる事は、
目に見えてることだけではありません。

目に見えてない部分でも同じ

「類は友を呼ぶ」という事が起きています。

これはどういうことかというと、

上に書いた斎藤一人さんのお話に戻るのですが

私たちは普通、神様は見ることが出来ません。
(もちろん貧乏神も見ることが出来ません)

しかし、目に見えないから「存在しない」というのは
その人の勉強不足もあると思いますが、
今後の世の中では通用しないのではないでしょうか。

どんなに否定しても、目に見えなくても、あるものはあります。

例えば、愛情や思いやりは目には見えませんが存在してますよね。

話を戻しますが「類は友を呼ぶ」です。

自分では認識できなくても、自分がいつも笑顔で上機嫌でいれば
目に見えない福の神も同じ笑顔で上機嫌なので
いつの間にか寄ってきてるのですが

逆に、自分が暗い顔をして不機嫌でいれば、
目に見えない貧乏神も暗くて不機嫌なので
同じ様に知らぬ間に寄ってきてそばに居るという話なのです。

このサイトでは、
愚痴や不平不満は言わないほうがいい。とか
すぐ腹を立てたりマイナスの言葉を使わないほうがいい。
という話を何度か書いてきました。

もちろん、人間社会でも不平不満ばかり言ってれば
そういう人たち(グループ)が集まります。

しかし、見えない世界からみても、
同じ様な波動を持つ貧乏神がそういう人達の所に集まるのです。

普通は見えないし、信じれないかもしれませんが、
この地球の法則「類は友を呼ぶ」はどこにでも適用される法則です。

逆に、不平不満や愚痴、人を虐めてばかりいる人に
福の神が寄ってくると考える方がおかしい・・・

ただ、こういった話は信じれ無い人は無理に信じる必要のない話です。

また、嘘だと思う人もいるかもしれません。

まあ、常識的な話ではないので、こんな話もあるんだなぁ。
とういう程度でいいので読んでもらえたら有難いです。