生きていくうえで、また仕事のうえでも判断する時の基準は、どこに置くか。

人は、生きていれば、必ずどこかで判断を下す必要があります。

とても重要な判断(結婚とか重要な取引を決断する時とか)で
人生を左右する様な判断を、即時、下さないといけない場合もあります。

仕事上なら、経営者の方は特に

即時決断は普通の事だと思います。

しかし、人間というのは、迷う生き物です。

決断を下した後でも、下した判断を
くよくよと悩んでしまうのが人ってもんだと思ってます。

こういう後悔や、やって来た事を後で悩むのは、
時間の浪費どころか、精神的にも悪い影響があると感じます。

何より、気持ちを切り替えて、次の仕事、
決断をどんどんしていかないと生きていけないのが世の常です。

でも、やっぱり、過去を振り返って、後悔してしまうのが
人間の性なのでしょう。これはしょうがない事だと思います。

さて、
まえおきが長くなりましたが、

後悔したり、悩んだりを、あまりしないで済む

   決断、判断方法 があります。

この話をする前に、今の世の中の実情を認識しておいた方が
理解しやすいと思われますので、少し書いてみます。

今の世の中は、激変期で、混乱期に入っています。
昨日までの常識が、今日では非常識なんて
あちこちで、普通に起きています。

今、生きてくには、常識にそった生き方をあまりしないで、
自分の良心を基準にして、生きていった方が間違いがないと思います。

今は何もかもが変わっていっている時代なので、
仕事のやり方一つとっても、変えていかないとマズイ場合があります。

今、自分の会社が、アメリカ方式でやっている場合は、

(アメリカ方式:完全実力主義、効率主義、売り上げのみ重視、
 年功序列は廃止、簡単にリストラ決行、株主最優先などなど)

気をつけてください。

逆に、日本方式の会社に勤めてる人は、
そのまま一生懸命(出来れば命がけで)仕事をしてれば安心です。

(日本方式:ある程度の実力主義、リストラはほぼしない、
 利益重視より世の中の役に立つ事が先、株主より社員が重要
 社員=家族、ある程度の年功縦列、働いてる人を人間的にも育てる)

しかし、日本方式でも、今の激動期は会社が潰れる事があるので、
絶えず勉強、自分磨きをして、社会の役に立てれるように
人間性をあげていかなければいけません。(今は本当に大変なのです)

ここで話をもどします。

さて、ものごとの判断基準はとても単純です。

・世のため人のためになるかどうか?
・お客さまのためになるかどうか?
・会社、家族のためになるかどうか?
・自分のためになるかどうか?

です。

もちろん、どれも重要なことです。

どれかを優先して、他をないがしろにしてもいい。

という訳ではありません。

あえて優先順位をつけたら、上から順番に、

世の中の為 ≧ お客さんの為 ≧ 会社、家族の為 ≧ 自分

という形になる。ということです。

(自己中心的で傲慢な人ほど、優先度が逆になっています)

これを基準に考え、判断を下していけば、
たとえ失敗したとしても、後悔はあまり無いと思います。

さて、ここでは、世のためを家族より優先にしています。

もちろん、お客様も優先度が高いです。

だから、家族をほっとけばいい。という話ではなく、
仕事ばかりで家庭に時間がとれない場合でも、
世の中の動きや自分の立場、考えをよく話し合って理解してもらって
家庭も仕事もバランスをとって生きていかなければいけません。

書くだけなら簡単なのですが、

いざ、実行となると、とても難しいと思います。

しかし、この方法をやっていくしか、(後悔せず)
幸せに生きていく方法が無いと私は思っています。

さて、もう一つ。

判断基準にした方がいいものがあります。

それは、

・まず、自分が喜ぶこと。
・つぎに、相手が喜ぶこと。
・最後に、神様が喜ぶこと。

と、3人全員が喜ぶことのみを、実行する。

という事です。

ひとつひとつ説明していきます。

・自分が喜ぶこと。

これは説明の必要が無いと思いますが、
自分がそれをやる事で楽しくなり、喜べることです。

逆に、いくら世のため人のためになっても、
自分がまったく喜べない時は、何かが間違ってるので
やるべきでは無いと思います。(しないほうがいいです)

つぎの

・相手が喜ぶこと

これはお客さんの喜ぶこと。で説明すれば分かりやすいです。
お客さんが必要としている商品やサービスを提供する事は
即、お客さんに喜んでもらえます。

さて、最後に

・神様が喜ぶこと

です。
これは神様の意味が、人それぞれ違っている場合があるので
私が考えてる神様で説明します。

ここでいう神様とは、創造主として判断します。

・創造主が喜ぶこと。

それは、人々がお互いに助け合い、喜んで生きていくこと。
みんなが楽しんで生きていくことだと思います。

ちょっと漠然としすぎてて理解出来にくいと思うので例を出してみます。

(極端な例ですが)

ここが戦争をしている国だとします。

・自分は、親を殺されたとして、
 今、目の前に、親の仇がいます。

・その親の仇も、自分の罪を償う為に
 ころされてもよい。と思っているとします。

ここで、親の仇を殺めれば、
自分も気持ち的にケリをつけれます。
相手も、覚悟してるので、殺されても本望です。

しかし、神様は、喜んでくれません。

神様(創造主)は、人を殺していい人間も、
殺されてもいい人間も、作ってこなかったからです。

神様の喜ぶことは、みんなが楽しく生きていくことです。

この考えから見ても、
人間の都合で、殺したり殺されたりする戦争は、
神様(創造主)は、望んでいません。
意に反しているという事になります。

だから、3人が喜ぶことでは無い。という事になります。

これは、読まれた方がじっくり考えて理解してもらいたい話です。

以上で、物事の判断基準をどこでするか?を書いてみました。

しかし
ここを読まれる人の「人生に対しての理解度」が、
どこまで達してるかによって、
書いてある内容の、受け取り方が全然違うと思います。

また、読む人によっては、意味が分からない場合や、
どこに重要な点がかかれているかが
理解できない場合もあります。

最後に、この文章は、無料で読めるサイトに
載せる情報ではないと思っているので
(無料だととても重要だと思わない人がいるので)
いつか、消そうと思っていますので、ご了承ください。

※上の判断は、伊藤忠彦氏を参考にしています。
 下の判断は、申し訳ないのですが、
 名前を記録してなかったので分かりません。

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