今回のお話は、自己犠牲についてのお話です。
この自己犠牲については
心の優しい人に多い話だと思うのですが、
例えばある場面で、自分が犠牲になれば相手が喜ぶとか、
犠牲になれば周りの人が喜ぶ事になり、
その結果何もかも上手く行くんだ。
と思ってしまう場面があるとします。
ただ例えば、
自分の我がままばかり通して周りの人の事をまったく考えず
自分勝手に物事を進めてしまった結果、
それで上手く行かないのだとしたら、
自分のわがままで先走ったのだから
責任を取って自分が犠牲になる事でケジメをつける。
という意味でなら自己犠牲にも意味があるかもしれません。
しかし逆に、周りの事も考えず自分勝手に行動したわけでもないのに、
相手や周りの人が得をしたり喜ぶから。という理由だけで、
自分を犠牲にするのは、私は間違いだと思っています。
もう少し踏み込んで書くと、
たとえ自分が犠牲になると決めたとしても、
自分に何のメリットも無く自分ひとりだけが犠牲になる場合、
それについてはいくら自分で決めたとしても、
心の底から自己犠牲を納得する事はできないと思うんですよね。
多分そんな事をしてしまうと
後から後悔してしまう可能性が高いと思うのです。
あと、これは私が実際に体験した話なのですが、
私は過去にある会社に引き抜かれて、
あるショップの店長補佐としてその会社に入ったのですが、
そこの会社の社長=店長の人格があまりにもあんまりだった為、
どうしても話がかみ合わない事が増えてしまい、
最初は売り上げをあげて調子は良かったのですが、
途中で店長の考え方についていく事ができず
精神的にかなり疲れてしまった事がありました。
しかし、やらなければいけない仕事は山ほどあり、
無理してでもこなしていかなければいけなかった訳ですが、
その無理がたたって病気になってしまい、
身体がついていかず休む事が多くなり、
売り上げも落ち、その店長の当たりもきつくなり、
最初は店長補佐で入っていたところを、
自分からアルバイトに格下げにしてくれるように頼んだ事があります。
実は、正社員の頃は結構な額の給料をもらっていたのですが、
同じ仕事をしつつアルバイトになる事で会社の方は経費の面で助かると思い、
自分からアルバイトを希望してしまったのです。
ただこれの何が悪いのかといいますと、
結局のところこれについては、自分は本当はどうしたいのか?
また、どうなりたいのか?を考えに考えて決めたのではなく、
ただただそこの会社の為、
お金や経費の為に勝手に今の自分が全面的に悪いと思い込み
自己犠牲の精神で自分を安売りしてしまったところです。
しかも、そうしてしまった時もこれは会社の為にやった事だと思いつつも、
正社員と同じ仕事をしてこれっぽっちしかもらえないのか。
という後悔も出てきたので、
結局自分が決断した事でありながら、
心の底では納得していなかったんですよね。
ただこんな事をしてしまうと、後々周りの人からなめられるんですよ。
アルバイトになると正社員の頃は
自分の下で働いていた人と同列で働く事になるので
その様に対応されるようになりますし、
店長もその様に自分を扱うようになります。
で、結局、そういった環境になってしまって
さらにストレスが溜まりすぎて病気が酷くなり退社です。
結果を見れば完全に自分の考えや決断が間違っていたという話です。
そしてこれは後から考えて気づいたのですが、
自分を雇っている社長や店長が自分とは合わない性格だったり、
尊敬できなかったり、心の奥底から嫌いな人だった場合は、
最初からそんな会社に入らないか、入っても技術を学ぶだけ学んで
一人前になったら自立するぐらいの気持ちで行かないと続かない。
という事に気づきました。
私のケースだと、その社長は人当たりは良い感じなんですが
絶対に尊敬できるタイプではなく、
私の最も苦手とする、情緒不安な女子高生と同レベルの気分屋で
さらに浮き沈みが激しく話を合わせにくい人な上、
まともに腹を割って話せるような性格でもなかったので
全部が全部ダメでした。
まあ、人生の勉強になればと思い入社したのですが、
人生の勉強になるどころか、人生の汚点レベル。
いや、人生で致命傷をもらったレベルでした。
という訳で、うまくいかない時は、
自己犠牲になる様な考え方や決断だけはしない方がよいでしょう。
ここでちょっと話が変ってきますが、
実は、自分の周りに居る人達というのは、
自分が本気で頑張っていようが、あまり頑張っていなかろうが、
自分がやってきた成果や結果を過大評価(or過小評価)する傾向があります。
また、自分がどんなに不誠実な事を思ってたとしても、
周りの人の目から見てそれが誠実な行動に映れば
その人は誠実な人になってしまうのです。
そこで自分を犠牲にして
周りの人に喜んでもらおうと決断し行動したとしても、
周りの人は貴方が自己犠牲になって
周りの人を喜ばせようと考えてるとは一切思わずに、
あの間抜けをこちらの都合よく使ってやるか。
ってレベルでしか見ない人が本当に多いんですよね。
ただたまに心優しい人がそれに気づいてアドバイスしてくれる事はありますが。
となると自己犠牲をしても、結局自己満足で終わる事が多く、
さらに言うと、自己犠牲をしたと思っても、周りの人はそうは思わず、
都合のいい様に使うだけ使って壊れたら捨てる程度の価値しかない人
と思われてる事があるわけです。
例えば、金の切れ目が縁の切れ目と似ていますね。
まあ、自己犠牲の全部が全部、自己満足だけって訳でもありませんが、
自己犠牲の精神で行動している時に少しでも心の底から納得できない場合は、
その自己犠牲は他人にとって都合が良いだけで結局自分の為にはなっておらず
自己満足に終わってる可能性が高いと思った方がいいでしょう。
まあ、自己犠牲で行動する場合は
自分にとって嫌な事をしなければいけない場面が多いので、
こういった話は冷静になれば自分で気づけるとは思うのですが、
精神的に余裕が無い人や病気の人などは、
上に書いた私のような状態になってしまう場合があるので注意してみてください。